日時 2012/09/22
場所 オラタ ホテル
主催者 JICA事務所、JOCV、SV
招待客 外務省、財務省、教育省、配属先
目的
今年はサモアJOCVが初めて派遣されてから40年目、SVが派遣されてから20年目となる節目の年であり、これを記念して式典を行いJICA関係者を招待することでこれまでお世話になってきたサモアの人々に感謝の気持ちを伝えると共に、JICAサモア40年の歴史と現在の隊員の活動を紹介することで、より一層JICAに親しんでいただき、今後更なる信頼関係強化を図ることを目的とする。
【プログラム】 ※映像はパスワードがないと見られません。
内 容 | 時 間 | 映 像 |
開場 | 09:30 |
会場準備・入場 |
開式 | 10:00 |
開式 |
Pray(Patele Muliau Stwers) | 10:05 - 10:15 | |
JICAスピーチ(JICAサモア事務所所長) | 10:15 – 10:30 |
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来賓スピーチ(Deputy Prime Minister?) | 10:30 - 11:00 |
来賓挨拶 |
本部ゲストスピーチ | 11:00 – 11:15 | |
ケーキカット | 11:15 – 11:20 | 展示物閲覧 |
写真撮影 | 11:20 – 11:30 | 記念撮影 |
~ モーニングティ- ~ | ||
ビデオ上映(過去・現在のボランティア活動紹介) |
12:00 - 12:30 | 上映1・上映2 |
エンターテイメント | 12:30 – 13:00 | |
- サモアンダンス・よさこいソーラン節 - | よさこいソーラン | |
閉会 | 13:00 |
40周年記念ラバラバ | |
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※H23-4美術隊員がデザインしたものでコンセプトはサモアと日本のコラボだそうです。よく見ると「JICA」の文字があります。 |
平成24年11月6日
国際協力機構
青年海外協力隊事務局
審議役 松島正明
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式典お開きの後 | ボランティア任地紹介<会場展示> | SV配属先ドン・ボスコ職業訓練校の学生(ダンスリーダー)と共に |
サモア40周年式典での佐々木所長とご来賓 | 行会での22年度2次隊 |
本年9月中旬から約1週間、青年海外協力隊派遣40周年記念式典への参加のためサモアへ出張した。サモアへの出張は約20年振りで、果てしなく広く碧い海、時間が止まったような風景、そして何より人懐っこく心優しい人々に会うのを楽しみに、9月20日深夜アピア国際空港に降り立った。
翌朝JICA事務所で打ち合わせ。20年の間に事務所は移転し、アピア港が間近に見える海辺に立つ。津波被災時には直接の被害はなかったものの、満潮時等には事務所横の小川が氾濫し、事務所員が土嚢を積むこともしばしばという。外見は小奇麗に見えても現場の苦労は絶えない。
記念式典を翌日に控え、先ずはアピアで活動する青年海外協力隊員及びシニア海外ボランティアの活動視察を行う。9月時点でサモアに派遣中のボランティアは、青年海外協力隊(以下JOCV)25名、シニア海外ボランティア(以下SV)10名の合計35名。JICAのボランティア派遣重点分野は、教育、保健医療等のため、視察対象先は教育省、サモア国立大学等で活動する8名のSVと現地NGOで活動する2名のJOCV(いずれも作業療法士)となった。
今回お会いしたアピアSVの大半が22年度2次隊で約10日間後には本帰国予定であったため、一様に活動を終えた安堵感と一抹の寂しさを醸し出しながら、笑顔で2年間の総括をされる。日本や海外で豊富な経験を有し、智恵や知見に富む皆さんだけあって余裕綽綽の雰囲気に一安心。一方、経験と知見・智恵では若干SVに叶わぬ部分があるものの、今回お会いした2名のアピアJOCVは大変しっかりした若者で、高望みすることなく現場で手に入る物を目一杯利活用しながら、現地の人々と共に働く姿勢を貫ぬく様子が見て取られ、SVに負け次劣らずの活躍振りであった。勿論、東京からの出張者には言えない或いは言わない部分もあるだろうが、弱音をおくびにも出さない姿に感動。
9月21日(土)午前9時、協力隊派遣40周年記念式典に参加。Orator Hotelという中国資本の新しいホテルであった。中国の海外進出は世界中で目覚ましいが、大洋州の島々にもその波が押し寄せていることを実感。
ホテル入口にはお揃いのJICAブルーのアロハを纏ったボランティアの皆さんが立ち並び、続々と到着するゲストをきびきびと応対。今次式典は佐々木所長の指揮の下、全ボランティアが一致団結、まさに手造りで用意された様子で、アロハのデザインにはじまり、配布資料や会場内に設けられた「40年の歩み」なども、整然と整えられていた。
外遊中の首相に替わりラウオフォ・ヌアフェシリ副首相が主賓として参加頂いた他、政府関係者、サモア大学長及び各ボランティアの配属先関係者など多数のゲストがお祝いに駆けつけてくれた。副首相から40年に亘るJICAボランティアの派遣と全ボランティアの活躍に感謝の意が表されたのを受け、小生より、これまでボランティアを温かく受け入れてくれた現地の人々、政府関係者に対する深謝と共に、80年代にサバイィ島の寒村で水供給に尽力し、ハイチーフの称号を得た楠原健一さんの活動を紹介のしつつ、JICAとしてサモアへの派遣を積極的に続けていく旨ご挨拶。
旅の最後は日本の無償資金協力で供与されたフェリーに乗って(維持管理はSVが24時間体制で担っておられる)、4名のJOCVの活動視察。フェリーポートから調整員自ら運転する車に乗り、サバイィ島を一周する。2名の小学校教諭、PCインストラクター、木工隊員は、ウポル島に比べ不便な環境のなかで其々元気に活動していた。不便を不便と感じない逞しい若者たちで、彼らのような若者を見ている限り日本もまだまだ捨てたものではないと心密かに満足。
20年振りのサモア(特にアピア)は、ニッパ椰子の家しかなかった当時と比べ比較にならぬほど発展著しい。アピアの目抜き通りには洒落たブティックが立ち並び、マクドナルドまである。ケンタッキーフライドチキンやバーガーキングが登場するのも時間の問題かも知れない。
アピアの発展に驚く反面、ウポル島の町外れやサバイィ島では20年前ののんびりした様子がまだ残っている。サバイィ島を車で走る途中、沿道の家々では殆どの人が朝寝、昼寝をしており、たまに歩いている人が見つけても教会にお祈りに行く老人、子供か、ラグビーに興じる若者達で、あくせく働く姿やどことなしか不安気な様子の人はいなかった(ように見えた)。これらの風景を見て内心どこかほっとした気分になるのは私だけだろうか。
以 上