平成16年度SV 観光振興
 小野克己

 

12年振りのサモア

 

 2004年~06年の2年間JICAシニアボランテイアとしてサモア観光局に在職。シニアボランテイアとしては始めての赴任地で不慣れな事が多く失敗、事故等思い出多い国でした。
 本年7月よりフィージー航空の成田―ナンデイ線が就航したことによりサモアがより近くなりました。赴任した時は若かったのですがすでに72歳。この機会を除いてサモア行きは困難と考え持病を抱えながらもサモア行きを決めました。ナンデイの乗り換えもスムーズに終わりサモアのファレオロ空港に到着。空港が新しくきれいなっていたことに驚きました。タラップは相変わらずないのですが設備、機能はまさに一流空港となりました。
サモアもいよいよ近代化の波かと不安に思いましたが空港から市内への両側の景色、建物、島民の姿、景色はそのままラグビーに興じるサモア人の姿も懐かしく思えます。夕食はよく通ったピザ屋(ジョルダーノ)に直行、受付のおばさんも変わっておらず蚊よけのココナツ液、ピザの味も全く変わっていません。

 翌朝ホテルの部屋から見るサモアの海、日の出感動でした。滞在が限られているのでホテルを市内に移動しビーチロードを散策。その景色はすっかり様変わりしていました。2018年2月に襲ったサイクロン”ジータ“の洪水でビ―チーロード側のレストラン、旅行会社、土産店は閉店。あの由緒あるアギーグレイホテルも閉館。新たに中国資本で再出発するという。昔のJICA事務所の近くにあったカトリック教会はすっかり模様替えされて美しくなっていました。サモア政庁に隣接する私が所属していた職場(サモア観光局)を訪問しましたが昔の仲間は全くおらずちょっと残念でした。事務所の裏のサモア文化村ではサモア文化のデモストレーション(刺青、サモア音楽、踊り、籠作り等)を毎週水曜日、木曜日の午前に開催され今回見ることができました。日本から事前に連絡をとっていた昔の職場仲間とも昼食を交えながらこの12年間の変化について話しました。

 2009年より従来の右側通行から左側通行に変更、2011年年末、従来の標準時を東側の日付変更線から西側に(地球最後のサンセットから地球最初のサンライズへ)中国人が増えその影響力が大きくなり現在では中国系サモア2世も成長してきた事等。この変化をサモア人は複雑な目で見ています。街行くサモア人は日本人の私を見るとにっこり笑ってくれます。ビーチロードの荒廃に比べて時計台のある街中は高い建物が多く活気があります。日本大使館、JICA事務所があるビルには昔では考えられない情景です。アピアヨットクラブ付近で昼食をとっているとビーチロードにあった昔のレストランがこちら移動しています。あの北野ツシタラホテルもタノアツシタラに変わりました。昔住んでいたFMポリネシアのラジオ局のアパートを訪ねると社長兼家主夫妻が迎えてくれました。今ではサモア2局目のテレビ局を持つ経営者になっていました。よく通った野菜市場は露天からきれいに屋根のついた建物に変身していました。昔あったお店のうちなくなっている店もありますがスーパーラッキーは改装していますが健在でした。

 JICA事務所も訪問しました。現在はSV1名を含む25名の隊員構成だそうです。昔に比べれば少ない人数です。翌朝、5時半に朝の魚市場へ。平日なのでそれほど活気はありませんでしたが聞こえてくるのは中国語です。昔の市場によくマグロの刺し身を買いにきたのでなつかしくしばらく朝の魚市場で時間を過ごしました。12年前の同じ業界のトップにいる友人が新しいサモアを紹介してくれました。観光振興で彼らが一番力を入れているのは中国と韓国だそうです。日本人は招待しても反応がないということです。双方の国に大使館があり政治、経済交流は活発なのに観光交流が不発なのは何故かと真剣に話し合いある程度ヒントを共有してお別れしました。あと5分遅ければ溺死寸前という経験をした私はサモア人に助けられました。その御恩を少しでも返したいと思いサモアの観光振興に今後とも力を注ぐつもりです。短い滞在でしたが無事帰国できたことに大満足です。


【現地の写真】

PNG資本のTaumeasina Island Hotel
カトリック教会
カフェも変身
  サモア政庁と教会
  サモア文化村
  トヨタ自動車近くのビル 右大使館、左JICA
  ファレオロ空港
  ラッキースーパー
  懐かしい北野ホテルはタノアツシタラに
  魚市場
  今は中国資本に「アギーグレースホテル」
   時計台
   新しいビル続々と
   人気のアナマキレストラン
   当地ではモダンな地区
   野菜市場







テキスト ボックス:
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作成日:2018/10/08
【サモア紀行 in 2018】